7月23日 土曜日

 

■■■1人■■■

今回は久しぶりに一人。
ハカセが線量調査に入った時その前を通り、
後日インターネットで募集を見つけた案件。
墓地の砂出しをしに行くために今回は
宮城県と福島県との県境の山元町へ。
原発までの距離約80km。

関係ないけどケイコの旧姓と一緒の字。

そういえば出発前にまたあり得ないところを
看板にぶつけてしまってべっこり凹む。
僕も凹む。


■■■もやっと■■■

今回は白石インターで高速を降り、
下道で山元町へ向かう。
白石にゅうめんは好物だ。

もやっとした天気。
朝日は見えるけどもやっとしている。





■■■ポニーちゃん■■■

もうすぐ山元町に入るというところで、
道の脇の原っぱにポニーが2頭つながれていた。
かわいい。
挨拶をして出発。

■■■山元町入り■■■

感謝の看板を見つつ、山元町に入る。
まだ5時30分くらい。
ハカセたちとの待ち合わせまでに3時間もある。
初めての山元町だったので、ぐるっと回る事に。
■■■国道6号から海側へ■■■

国道6号からほどない所にある集合住宅。
ぱっと見普通に見えたが近づくとそうではなかった。
海まではおよそ2kmのところ。

さらに海側を目指す。





■■■海■■■

松林も波にやられ、防潮堤、護岸も
崩れ落ちている。

自衛隊が作ったのかな、海岸沿いに砂利道が
あった。








■■■行ったり来たり■■■
県道38号線を行ったり来たりする。
山になった瓦礫に草が生えていた。

津波の被害を受けてダメになってしまった家の庭に
ひまわりが咲いていた。



■■■牛橋河水門付近にて■■■

陸前高田の気仙川や東松島の東名運河と
違いまだそのままの状況が広がっていた。

車で移動しながら見ていく。







状況を見ながら気になっていたのだけれども、
ツバメがたくさん飛んでいる。
どこかおぼつかない。
多分子供ツバメなのだろう。
飛ぶ練習をしてるのかな。可愛いので撮影する。
と、草むらからおじさんが現れて、こちらへ
歩いてくる。

なんだ、朝早くで人もいない所にいたから
話し相手が欲しいのかなと思っていると、

なんだ、写真撮って。
俺がこのパイプを拾ってるのを写真に撮って
訴えるのか?!とちょっと怒り気味。

えーーーーーー?!
なんですかそれ。僕ツバメ撮ってただけですよ。
といいカメラの画面を見せる。
それでもちょっと納得いってないようなので、
わかってもらうため戻って行ったおじさんを
追いかけて話をする。

僕はボランティアに来ただけですよ。
まだボランティアが始まるまで時間があったし、
山元町に来たの初めてだったので、いろいろ写真に
おさめてたんです。

報道か?

報道じゃありません。

俺はそこに見える瓦礫の山のところに親戚の家が
あってそこに竹竿をもらいにきたんだけど、
親戚も避難していていないし、竹竿もないから
もう誰のかわからないパイプを探してただけだ。
訴えられても困る。

いやいやいやいや
そんな気全然ないですし。
仕方ないと思いますよ。誰のモノとも
わからないですし、ここにあったらいつか
片付けられちゃうだけだと思いますし。

....。

ここらへんのボランティアの入りはどうですか?

全然来ないね。
たまに見かけるくらいだ。

そのパイプ僕の車で運びましょうか?

いい、いい、スクーターで運ぶから。

おじさんのスクーターのカゴに乗った
ポメラニアンにさんざん吠えられながら
そんな会話をして、理解してくれたようで、
失礼しますと言って別れる。


■■■常磐線■■■

仙台から亘理町までは動いているらしい常磐線。
亘理町以南はもう走ることも無いらしく、
線路が撤去されている。

機関車だけが取り残されていた。
後に聞いた話、これは貨物列車で当時貨物車両を
何台も引っ張って運行していたのだが、ここで津波に
あい、貨物はすべて流されてしまったらしい。





■■■県境へ■■■

県道38号を南下し福島との県境へ。
家も橋も何もかも酷い有様。
草が生えてしまって、
家があったことすら分からない。
中浜小学校のまわりは集落だったらしいけど
そうだったとは思えない。
しかしよくみると基礎が残っていて
そこに家があった事を教えてくれている。

壊れて沈下した道を迂回し、崩落している崖の横を
通り、高台へと道が上がって行く。
上がりきった所にも津波の被害が。
ミッキーやピカチューのイラストが描いてある船が
置いてあるところは浜谷地というところで、
高台になっており海側に展望台もある。

道はこの高台で通行止めになっていた。
展望台まで行ってみる。
小雨が降っていた。
あまり気にしないようにはしていたけど、
やはりちょっとだけ放射性物質の事が気になる。

展望台から福島を望む。

松の間から見える対岸は相馬港かな。
なつかしい。
今度は仙台側を見る。
果てしなく津波の傷痕。

人が海岸からこの高台の方に上がってきたので
撤退する事に。















■■■集合場所へ■■■

戻りしな見かけた常磐山元自動車学校。
津波の被害を受けた車の集積場となっていた。
エントランスには献花がされていた。
多くの方がこちらでも亡くなられているらしい。

■■■集合■■■
8時、集合場所のセブンイレブンにつく。
8時過ぎに店内で朝食などを買っていると、
ハカセが到着。
ハカセもいろいろ食料などを買ったりする。

車中でTVを見ながら待機。
ノルウェーのオスロでは爆弾テロと無差別殺人が
起きたらしい。オスロは飛行機の乗り換えでしか
降りた事が無いけれど、ノルウェーには素敵な
想い出がある。ちょっと悲しくなった。

8時25分頃シブイさんも到着。
あと2人くらい来るのかと思ってたら本日は
この3人。うーむ。
現場を見ていないけれども、お墓の砂出しに3人て
かなり無理があるような。
でも男3人でやるしか無いと現場に向かう。

シブイさんは新兵器を携えてきてるらしい。
 

■■■鳳仙寺到着■■■

9時、 鳳仙寺到着。
思った通りの広さ。
やりきれないし、今日あまり進められそうにない。
3人が3人ともそう思った。

そしてどんなお坊さんが現れるかと思って
待っていると若いイケメン長身のお坊さんが。
ウチヤマさん。
格好も普段着で若者である。
坊主やスキンヘッドにしている一般人も珍しくない
昨今、普通に街を歩いてたら
お坊さんって気づかない。

この性分なので、早速、普通の若者ですね。
とツッコミを入れてしまった。
普段はこんなもんですよー。
法衣着て作業も出来ませんしね 笑
なんて言われた。

墓石を立て直しにきている業者の方々にも挨拶をして
早速作業開始。


■■■千里の道も一歩から■■■

今日手を付ける道を見る。いきなり途方に暮れる。
3人+ウチヤマさんの4人で
このメインの道1本すら終わらなさそう。
だけどウチヤマさんやここに眠る方々、
檀家の方々のために少しでも奇麗にしないと。

側溝隊長の真面目なハカセ、
ウチヤマさんが黙々と作業を始める。
シブイさん、僕も作業を始めた。

砂をかいて、ネコに載せて敷地外の砂を
集めておく場所に出す。
ある程度砂が無くなったら竹箒で掃く。

適材適所。
竹箒で掃除をしてもあまり奇麗にならないイメージが
子供の頃からあったけれども、
角スコや小さいホウキ、その他のものに替えが
見つからないほど奇麗に砂を掃いてくれる。
人生でこんなに"適材適所"を痛感した事がないほど。
最近電気工具ばかりに目が行っていたけれども、
古来の道具もなかなかのもの。
買わない手は無い。

今日は曇りでわりかし涼しい。作業も進む。




■■■自衛隊掘り?■■■

朝の雨で若干湿り気を帯びた砂はスコップで
かきやすい。ヘドロも混じっていないので重くない。

かいてはネコに載せかいてはネコに載せ。

動かせる墓石などはちょっと脇に寄せたりする。
と、1つの墓石をどかした時キューピーちゃんが。
みんな驚く。
誰かがお墓にそなえたキューピーちゃんだと思うけど
こうやって不意に現れると驚く。

航空自衛隊だった先輩にスコップの使い方を
教わっていたのでその要領でかいていく。
左手が前で、逆手より順手で後ろへかき出す要領で
ネコに載せる。ラクチンである。
そして、気が散りやすいので教えてもらったように
今からここをかく。と線を引きそこだけをかく。
決めた場所だけをやるので集中してやれる。
効率アップである。
その方法でどんどん進めていく。

自衛隊すごいなぁ。
普通のことなのかな。






■■■心くすぐる■■■

遠くでは墓石を直すために業者さんがクレーンを
使って墓石を吊っていた。
よく見ると足がある。人が乗る場所は無い。
こういう狭い空間で作業するためのものらしい。
名前はカニクレーン。
収納時はこんなにコンパクトにまとまる。
かっこ良すぎる。

10時頃からウチヤマさんはお葬式のため、
一旦離脱。
時間があるときは砂かきなどをして、行事があると
法衣に着替えて仕事をする。若いのに本当に
よくがんばる。檀家の方々に信頼されてそう。

■■■最強寺■■■

お昼になり、昼食をとることに。
ウチヤマさんの案内で普門寺へ。
ウチヤマさんの親戚の方が住職をされているお寺が
ボランティアセンターになっているらしい。

僕の車にハカセ、シブイさんを乗せてウチヤマさんの
先導で向かう。

到着。
いきなり看板に度肝を抜かれた。
ユルイ 笑
新潟からボランティアで来てた方が描いたらしい。
おてら災害ボランティアセンター。
略してテラセン。

住職の立て直したばかりなのに被災してしまった
家の一階部分が事務所兼休憩室。

さっそく食事をさせてもらった。
今日はおにぎり2個と、さんまの蒲焼きの缶詰。
そういえば僕はさんまの缶詰が大好物だった。
すっかり忘れてた。物が腐りやすいこの季節には
いい食料。屋内なので過ごしやすい。
食べ物も喉を通る。

見渡すと物資がいろいろある。
これは?と聞くと、山元町に集った物資を
山元町が配布したものをストックしておいて
ボランティアに来てくれた方々に
供給しているのだそう。
韓国のカップ麺。ニュージーランドからの水など。

ちょうどこの日は直接ここに茨城から
支援物資が届いていた。
あけると200枚ほどの土嚢袋と
長柄のスクレイパー1本×2セット。
セット内容に?となったけど道具は
ありがたい。土嚢袋なんていくつあっても足らない。

最初数人だったけど、お昼休みに戻ってきた人たちが
来て10数人ほどになった。

住職さんだと思っていた人は、名取市から
ボランティアに来ている方だったらしい。
ここに来て長いらしい。この人もボランティア病だ。

どこをどう見ても鳶職の親方にしか
見えない人が入ってきて、上座に座った。
この人こそがここの住職さんだった。
余計な贅肉も無く、盛り上がった肩の筋肉。
チェーンスモーク。
鳶のような服。黒いキャップ。
日に焼けた肌。
うーん日本のどこを探しても
こんな僧侶はいないんじゃないか。

なんかかっこいい。






■■■画伯vs画伯■■■

ふと本堂の方に目をやると、寄せ書きされている
コンパネやイラストの描かれた板が飾ってあった。

かわいい坊主の絵が描いてあったので、これは
誰が描いたのかと訪ねると、こちらの住職だった。
住職何でも出来る。
そんな流れの中で、ハカセが絵を描くと、
みんなちびまる子ちゃんのセレブの子(はなわくん)に
なっちゃうという話になった。

それをウチヤマさんが、
そんなフリをされたらもう描いてもらうしか
ないですよねー。なんていう。
ハカセしぶしぶ?描き始める。
完成したものを見て、ホントだはなわくんだ!
これはなわくんですか?って聞くと、ハカセは

自画像です。

ええええーーーーーーーーーーー!!!
僕もシブイさんもウチヤマさんもビックリ 笑

それから本堂の中に入ると、素敵な絵が何枚も。
ため息のでるような絵がたくさん。
またかわいい信楽焼のたぬきの絵なども。

後から知ったのだが、
描いた人はウチヤマさんだった。
彼は、絵を描いたり、ドラムを演奏したり
いろいろな能力を持っているらしい。
この血筋すごい。


■■■午後の部■■■

なんやかんやで、昼休みも終わり、また鳳仙寺へ。
思ったより今日の目標達成は早そうだった。

ウチヤマさんも私服に着替えて戻ってきて、
4人で作業開始。
と、気がつくとおじさんが剣スコを持って現れた。
一緒に作業をしてくれるらしい。

話を聞けばこちらの檀家さんで、
今回の津波で家族を亡くされたそうで、
昨日ようやくお見送りができたらしい。

今までもちょくちょく土日は片付けの手伝いに
きていたらしく、また兼業で農家をされていたらしく
体力があるようで頼もしい。
いつまでも悲しみに暮れてられない。
家長として前を向いて生きていかないとと
ご自分を奮い立たせてるんだろうなと思った。
この人のためにもがんばらないと。

今きたばかりだから、あんたたちは休みななんて
気遣いもいただいたりした。
午後は5人で残りをどんどん片付けていく。

■■■新兵器■■■

何回目かの休憩の時。
満を持してシブイさんの新兵器が登場。
バキュームブロア。
以前も小型のを買ってきていたが今回はでかい。
戦隊モノの必殺武器のようだ。

ウチの中華発電機もここでようやく活躍の場が
与えられた。
前回陸前高田で使ったときは、
チョークを引きっぱなしにしていたので、
プラグがかぶってしまっていたのだ。
原因は、チョークの部分に50hz←→60hzと
書かれていた。
なんとも雑な仕事。さすが中国。
しかしもうわかったのでばっちり。
ぶんぶん発電する。

バキュームブロア、小さい方も出動した。
たしかに吹き飛ばせるけど、散ってしまうので
あまりこの現場では活躍出来なかった。
窓のサッシュなどでは確実に活躍すると思う。

そしてウチの道具のなかで一番小さなスコップも
活躍の場が与えられた。
道に倒れ、大きくて動かせない墓石と縁石の
間につもってる砂をかき出すのに大活躍。



■■■奇麗になった■■■

一番上の写真の短い通路と、2枚目の写真の
奥まで続く長い通路この2本をみっちり奇麗に
することに成功。

ウチヤマさんも少人数でここまで出来るとは思って
いなかったようで、そして僕らも同じだったので
驚いた。ハカセはきめ細かく細かい所までやる。
そういう性分。

僕とシブイさんは小さいスコップで隙間から
かき出した砂をショベルですくってネコに。

最後は竹箒や小さいホウキで掃いて仕上げる。

目処がつき、作業の手も緩む。

ちょっと気になっていた線量をハカセの
ガイガーカウンターで計ってもらってみる。
0.19μSv低くはない。
コンクリの上でそれ。
かき出した砂の上に移動すると0.22〜0.24μSv。
その差がどうして出るのか。や、
ガイガーカウンターの仕組みなどを教えてもらう。
紫外線も放射線の一種とかα線、β線、γ線など
ぼんやりだけど分かった。
また福島市や郡山市などの現状などを
教えてもらったりもした。

まぁハカセがマスクしたらマスクをする。
ハカセがその場にとどまらないなら
僕もとどまらない。そうやって安全確保をしようと
思った。



■■■本日これまで■■■

時間も来たので、本日の作業は終わり。
山元町付近で野営するより、しなれた東松島へ
行く事に。

ハカセはこの後石巻まで行き、自分で買い集めた
アイスノンを避難所などに配りにいくらしい。

なので、シブイさんといつものパレ松へ。

しかし、陸前高田ほど目立ってハエもいなかったので
ドアを開けっ放しにしておいたら、車のなかに
すごい量のハエが。これはキンチョるしかない。
パレ松手前のセブンイレブンに寄り、キンチョールを
購入。水性なので安心。
さっそくまく。悪いが即効性。さようならである。

パレ松についていざ風呂に。
東松島組が休憩室で待っていてくれた。
この後どうするかを話して決めて解散。

僕らは風呂に。
東松島組は今日帰る人を送り届けたり、夜の支度を
したるするために帰る。


■■■ラーメンチャーハン餃子■■■

パレ松を出て、シブイさんと東松島の
コミュニティーパークに向かう。

途中、野蒜の道ばたで見た事ある車が。
東松島組のサイトウ君だ。
先日BBQをさせていただいたオガタさんの家で
何かを話している。

後ろに停めて僕たちもオガタさんに挨拶。
今日東松島組はオガタさんちのハナレの裏を
掃除していたらしい。

それからコミュニティーパークに戻り、
せっかく少人数なのでいつものロックタウンで
買い出しじゃなく、麺よしに行こうという事に。

麺よしにいくのも、そこまで歩いていくのも
言い出しっぺな僕。

次の日気づく事になるが、デジタル一眼用のGPSの
機械を歩いている道中で
落としてしまったらしい。

先日の財布に続き、最近締まりがない。

矢本駅前の麺よしに到着し、みんな思い思いの
メニューを頼む。

ラーメン、味噌ラーメン、餃子、チャーハン、
肉ニラ、冷やし中華など。
んまい。
とくにここの餃子は味噌ダレっぽいやつで食べる。
それがうまい。



■■■星■■■

食べ終わりまた歩いて帰る。
その後ハカセも石巻から帰ってきた。

ハカセはご飯がまだだったので、みんなで
ロックタウンに買い出しに。

ハカセお腹ぺこぺこで早く食べたいのに、
オカリナさんとシブイさんがなかなか出てこない。

再びコミュニティーパークに戻り、
数週間張りっぱなしのヨコヤマテントで晩餐。
張りっぱなしのせいか、いろんな人が利用するせいか
ちょっとすっぱい臭いがする 笑

今回は騒ぐ人も酒飲みもいないので、
こじんまりと終了。

なぜかテントもシュラフも忘れたので、
車で寝る事に。

と、その前に星が驚くほど奇麗に見えたので
一枚撮影。
なぜこの時GPSが無くなっている事に
気づかなかったのだろう。

1日目終了。

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