7月30日 土曜日

 

■■■Fit■■■

ハイエースが入院したままなので、
今回はレンタカーを借りていく事に。
相変わらずギリギリまで仕事をしていたので、
不安だったけど、ケイコに駅前の
レンタカー屋さんから車を借りてきてもらう事に。
ケイコはペーパーゴールドさん。

昼に行った時は、もう箱物は何もないと言われて
いたので、車種なんでもいいよと言う。

少ししてケイコが帰ってきた。
無事運転して帰って来れたらしい。

借りた車はHONDA Fit。
おー久々のHONDA車。ちょっとうれしい。

今回は陸前高田市。
なんだかんだで23時出発。
雨の中高速をひた走る。



■■■ぐずついた天気■■■

朝7時前、いつものVCの駐車場に到着。
雨は相変わらず降っている。

前回同様、周りの草むらで蛙や虫を探す。
雨のせいかあまりいなかった。

7時半頃、ケイコに促されて仮眠。
結局そのまま出発まで寝てしまっていた。

今回はイズミさんにショートメールを送っていた
つもりが送れていなかったみたいで、
イズミさんはいなかった。

ケイコにマッチングしてもらう。
そして、牡蠣の養殖用のイカダ作りの仕事を得た。
埼玉の朝霞から来ている21カ所のVCを回ってきた
おじさん、北海道の災害救助の専門学校に通っていて
休みを利用してきている学生君、宇都宮から
陸前高田入りして1週間ほどになる、
元ホームセンター勤務の男の子、
それから、フ○テレビが取材でついてきている
まるで芸人のように色違いのツナギを着た2人組。

ケイコに軽く教えてもらい出発をしようとすると、
フ○テレビを連れている2人組が
漁港の方が取材拒否されたので別の所に行きます。
と、VCから借りてきた道具を僕らに渡す。

イラッとした。
何しにきてるんだ、こいつら。
寝起きじゃなかったら怒ってた。
若干あっけにとられつつも、TVがいなくなって
よかったと思い気を取り直して出発。
なぜか僕が先頭。
気仙町しか行った事無い僕が先頭に立って向かうのも
どうなのか。







■■■読めん!!!■■■

地図を見ながら若干迷いつつもなんとか
獺沢(うそざわ)漁港に到着。
依頼された方々に挨拶をして車を停める。

獺沢じゃなくて瀬沢だと思っていた。
よく見ると獺。読めん!調べてみたら
カワウソと読むらしい。で、ウソザワ。

■■■イカダ作り■■■

すでに漁師さんと地元の方でイカダ作りを
始めていた。

指示を受けて、木に刺してある長いボルト?に
ついたナットをラチェットで締めていく。
下側はナットから飛び出ないように
しなければならない。
下側のナットを締めるとボルトが
飛び出てしまうので、上側のボルトを締めていく。
下を気にしながら。

みんな要領を得ず、まごついていた。
どうしたら手間を取らずにやれるか考えながらやる。

結果、下側のナットから少しマイナスになるくらいで
ボルトをセットする。
そして上側のナットをどんどん締めていく。
閉まり始めるとボルトもナットと一緒に少しずつ
回るので、それを加味した下側のナットの位置。
締まりきる直前になると同じ回転でボルトも
回ってしまう。ボルトを少し体で押して
曲げながら締めていくと手間無くやれるとわかった。

依頼された方々は上側の飛び出た
ボルトをサンダーで切ったり、長い木をフォークで
移動させたり、テキパキ進めていく。

僕らはどこから来たとか、どれくらいいるのかとか
ちょっと雑談しながら作業を進めていった。

北海道の子と宇都宮の子は、住田基地(大股公民館)で
知り合い、北海道の子が来てから4日間くらい
ともに行動しているらしく仲がいい。

埼玉の朝霞から来たおじさんは、
居心地がよかったらしく、
東松島のコミュニティーパークにテントを張ったまま
ここへ来たらしい。
なんともまぁ奇特は人だ。

■■■モビリア■■■

1つ目のイカダが完了し2つ目のイカダのボルトも
大体締め終わった時、お昼になった。

お昼ご飯は依頼者の方の勧めで、モビリアに
行く事になった。炊き出しのご飯をもらって
食べるといいよと言われた。
ボランティアで来ている僕らはさすがに遠慮する。
が、いいからいいからと言われ、
誘導されてモビリアに車で移動。

到着して車から降りると、
いらっしゃいませー!どうぞ食べてくださいー。
と、炊き出しをしている方々に誘われる。

イオンと書いてある。多分以前ズボンや調味料を
買い付けにいった一関のイオンが
やっているのだろう。

いろいろなものをよそってもらって、
モビリアのエントランスホールでいただく。

おいしい!
来る前に買ってきたおにぎり2個と
さんまの缶詰も一緒に食べる。
おかわりも自由と言われたが、さすがにそこまで
食べられない。

モビリアは優良オートキャンプ場らしい。
津波当時は多くの方々が避難した場所。
そして停電が続いたときも、
非常用の自家発電機を備えているので、
こちらに逃げた方々は、灯や暖がとれたらしい。


食べ終えて、外で休みつつ、炊き出しの人たちを
改めて見て気づいた。

キューピーの法被を着た人とあの、あのHOKTOの
ポロシャツを着た人たちもいる。
3社共同での炊き出しだったようだ。

HOKTO の社員の方のポロシャツの背中を見て
思わず写真を撮らせていただいた。

HOKTOはあのCMでおなじみ。
CMも好きだし、きのこも好物なのでたまらない。
モーテンションMAX。
CMが流れると釘付けでしたとか、変な
アピールをする。
あやうくお世話になっておりますとも
言いそうになった。

雨のせいで出動できずにいるこんな二人もいた。


■■■仮設なの?!■■■

ここまで誘導してくれた人と外で雑談。
よく見ると、駐車場の前に仮設住宅が。
この方もこちらの仮設で生活をされているらしい。

またここはオートキャンプ場なので、
そこの谷間にもそのむこうにも仮設があります。
と言われるがままに、谷間を望める場所まで行って
下を見てみた。

?!

三角の屋根に、木造の壁。
いままでいろんな仮設を見てきたけれども、
このタイプの仮設は見た事が無かった。
プレハブタイプのものよりも住み心地良さそう。
よく見れば、生け垣も庭もある。
すごい。土地をしっかり活かしたと言うべきか。

そういえば、前回物資としてタオルを
ヨコヤマさんから託されていた。
こちらでは必要ないか聞いてみる事にする。

が、もう現在モビリアを避難所として
使われている被災者の方は1人しかいないようで、
必要ないとの事だった。

■■■残念断念■■■

昼の作業時間になっても、雨がやまない。
今回の作業は、発電機で電気を起こし、
インパクトやサンダーを使いながらだったため、
感電してもよくないから昼からの作業は
中止にします。と依頼された方に告げられた。

残念。滅多に出来る仕事ではないし、
牡蠣は好物だ。牡蠣の養殖のために働けるのは
嬉しい事だっただけに本当に残念だった。

ボラセンから借りてきた道具を作業していた所に
取りに戻り、埼玉から来た人とも、
北海道&宇都宮コンビともここで
お別れすることに。

道具はウチで預かり、(Fitでも結局荷物持ち)
ケイコと初めて来たこちらの地区を少し見て
帰る事にした。

沖ではすでに養殖が再開されている。
海の浄化の力を信じて、いい貝が育ってくれる事
願うばかり。
しかし、放射性物質だけはどうしようもない。
陸前高田の海はどういう状況なんだろう。

小さな漁港などを見ながら明日の事を考える。

明日もここで雨が降ったら中止の恐れも
ある。だったら、フリーで動いてる東松島に
移動した方が確実だなと考え、南下する事にした。








■■■本当に■■■

どこも酷い有様。
瓦礫などは片付けられているが、
酷い爪痕はくっきり。

ボラセンまでの道中にあった海岸沿いの道。
大勢のボランティアがゴミ拾いの活動をしていた。
雨の中黙々と。

警察も捜索をしているんだと思うんだけど、
どう見ても長い棒で草をペシペシ叩いてるだけにしか
見えない。










■■■力強い■■■

雑草の力強さもさることながら、ひまわりが
そこかしこに咲いている。
花壇や畑だったであろう場所なら分かるけど、
そうでない所にもたくさん咲いていた。

力強く元気をもらえる気がした反面、
ちょっと怖さも感じた。


■■■そういえば■■■

ヨコヤマさんが今日は大船渡にベッドを物資として
運んでいた。

昨夜からの大雨で新潟は酷い雨。
大阪から北陸道経由で大船渡を目指したらしいが、
大変だったらしい。
雨のせいで北陸道が通行止めになったりして、
大船渡まで17時間ほどかかったようだ。

それでもなんとか午後までには到着し無事に
荷物を降ろしたようだった。

ボランティアに行っていてよく知らなかったが
家に帰って新潟・福島豪雨などという名前が
つけられるほどの豪雨でそうとうの
被害だったらしい。そんな中アクシデントもなく
無事に大船渡につけたのはさすがヨコヤマさん。

ボラセンに戻る途中に終わったからそっちに向かう。
と連絡をもらう。
ヨコヤマさんから託された物資のタオルを
高田一中に持っていこうとしていたので、
急いで高田一中に向かった。

ヨコヤマさんには、ここにいますとiPhoneで位置を
送信。

高田一中に着き、前回判治さんのライブのアポで
お世話になったササキさんを呼んでもらう。
呼んでもらってる間に、張り紙に気づく。

食料以外は受付ません。

ササキさんが現れ、お呼びだてした理由を説明し、
張り紙に気づいた事も話、お礼を言って撤退。
■■■ボラセンにて■■■

案外陸前高田-大船渡間は距離があるので、
大丈夫だろうと思っていたら、ボラセンに
向かっている途中で、ヨコヤマさんから連絡が。
あわてて、ちょっと移動してしまったので、
復活したローソンで待っててください。と
場所を伝える。

ボラセンで急いで道具を返却し、
うがい、手洗いをして中でもらえるお茶をもらう。
と、俺のさやかちゃんがいたので、
ボラセンでタオルいるかなと聞く。
と、喜んで引き取ってくれた。
そしてさっそくボランティアの方々に配ってくれた。

これでヨコヤマさんにもよい報告ができると
僕も嬉しかった。

さやかちゃんに挨拶もほどほどに車に乗り込み、
ローソンへ。

■■■合流■■■

到着すると、ユニックとキャラバンの2台が
ローソンの駐車場ではないところに止まっている。
ローソンはまだオープン前だったらしい。

車をおりるとお初の3人組が。
大阪の先生軍団だ。
ヨコヤマさんの顔が見えない。
先生たちに聞くと、指を指す。指した所を覗くと
キャラバンの荷台で寝転がったヨコヤマさんが。

僕を待つ間寝る予定だったらしいけど、
数分だけだったみたい。ちょっと悪いことをした。
■■■南三陸町へ■■■

東松島へ行く途中南三陸町の前回テントを
持っていったお父さんのところへまた物資を
持っていくとの事だった。
北から南下するのは、僕が道が詳しいということで
先導する事に。

4月7日には通れなかった道も
多分通れるようになっているはず。
45号線で気仙沼、本吉を抜けて南三陸町へ。

4月7日の景色とは確かに変わっている道中。
大きい街と大きい街の間にも復興の手は
なんとか入っているようだった。






■■■橋■■■

4月7日、橋が落ちていて通れなかった部分も
橋がかかり通れるようになっていた。

考えてみれば、北からも南からも西からも
僕は南三陸町入りを拒まれた事になっていたな。
追分温泉を抜ける山道でかろうじて南三陸町に
入っていけたけど。

橋を渡り終えるころに目に飛び込んできた光景。
線路の高架の上に家の屋根が3軒分。
ここもそうとう津波がひどかったんだろう。
言葉にならない光景だった。

■■■記憶力■■■

記憶力は低い方だと思う。
東松島から、車の後部席に乗って一度しか
行った事の無い民家を、北から向かって迷わず
行ける自信はなかったが、
ヨコヤマさんが、いつもの調子で、わかるやろ。
というのでがんばってみる事にした。

何度か徐行したりもしたけど、
ふとタイヤ修理の看板があり、曲がってすぐに
仙台銀行のプレハブの店舗がある事を思い出す。
おかげでほぼ迷わずお父さんの家に着く事が
できた。ちょっと自分にびっくりした。


■■■やっぱり...■■■

やっぱりそうなるかという感じで、
お母さんが食事を用意していた。
物資のTシャツを置いたらすぐ出る予定だったけど、
おばさんがあがってあがってとせかす。
あがって居間にいくと、カレーライスを出された。
僕やケイコの分まで。

話を聞けば事前にヨコヤマさんに何人で来るか
聞いていたらしい。
すっかり用意されていたので、美味しくいただく。
なぜか箸で。カレーを箸で食べる初体験。
カレーを食べ終えた頃、今度は魚のアラを
出汁にしたうどんが出された。
美味しくいただく。

食べてる間に今度は刺身も出てきた。
なんというフルコース。
カレーにうどんに刺身。
もちろんどれも美味しいけどこんな組み合わせで
食べた事が無い。

驚きつつお腹いっぱいになりつつ
外から帰ってきたタイキと遊ぶ。
今回ようやく男の子と判明。
なんという美男子なんだ。

男の子はおじいちゃん(僕がお父さんと呼んでる人)と
廊下でブロックや車のおもちゃで遊び始めた。
僕もそこに加わって遊んでいたがいつしか
お父さんとお母さんと真面目な話に。

漁師のお父さんは放射性物質の事を危惧していた。
津波や地震で壊れたものはなんとでもなるが、
放射性物質はどうしようもできない。
それが歯がゆく、悔しい。と何度も繰り返した。
お父さんは震災以降海で獲れる魚介をいっさい
口にしていないらしい。
油の臭いはだいぶ無くなってきたと仲間が言うけれど
放射性物質に確実に汚染されているから嫌だと。

また重機の話や工具の話なんかもして、
タイキのもっと子供の頃の写真を見せてもらったり
ゆるゆると時間が過ぎて行った。

居間では男の子の
お母さん(僕がお母さんと呼ぶ方の娘さん)と
ヨコヤマさんたちがずーっとおしゃべりをしていた。

外も暗くなり始めたのでおいとまする事に。


■■■東松島へ■■■

出発して東松島へ戻る途中、また防災対策庁舎に寄り
手を合わせる。


■■■今日は終わり■■■

ヨコヤマさんは相当寝不足だったらしく、
もうすぐ矢本ICというあたりで、車がふらっと
していたが、なんとかコミュニティーパークに
到着。

その頃にはもう暗くなっていた。
眠さMAXだったようで、もう寝ると言ってテントに
入っていった。
(ヨコヤマさんのテントは数ヶ月ここに張りっぱなし)

カワノさんが近いからゆぷとに行ってきたらと教えて
くれたので、ゆぷとに先生3人組と
ケイコと行く事に。
ゆぷとはボランティアですと言うと、30分無料で
お風呂を貸してくれる。ありがたい。
パレ松や大観荘とちがい、ジムやプールのある施設の
お風呂なのでさほど広くはないけど、露天風呂も
ありなかなかのもの。
疲れを洗い流し、サウナに入り露天風呂に浸かり
出る。皆を待ってる間に17アイス。んまい。

そして、お腹はいただいてきたので空いてないが、
お酒を少し飲もうっていうことになり、
いつものロックタウンへ。
先生3人組はまた食料を買っていた。
若さっていいなと思った。

しかし、先生という職業に着いている人たちが
自分より年下というのがすごく違和感があった。
歳を取るのは嫌じゃないけど、
ちょっと切なくなった。

そして買い物を済ませて、袋詰めしているときに、
案の定としか言いようがないが、午前中一緒に
陸前高田で作業した埼玉から来たおじさんと
ばったり 笑

テントに戻ると、カワノさん、シブイさん、
寝たはずのヨコヤマさんが起きていて
小さなテーブルを外で囲んで飲んでいた。

僕らが戻った事でヨコヤマテントの中で
みんなで飲む事に。
たあい無い事を話しながら飲み、22時。
消灯時間になったので解散。

今回はケイコと2人だったので車で寝る事にした。
あまり記憶がないので、すぐ眠りに落ちたらしい。

1日目終了。

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