6月26日 日曜日

 

■■■雨■■■

雨のパラつくなかテントを片付け、ムラヤマさんの
車に荷物を載せてもらい、現場へ。

東名運河も瓦礫が無くなり奇麗になってる。
お寺の屋根などもすっかり無くなってる。
今後本当にどうなっていくんだろうここらへんは。

今日、以前より夫婦で東松島で
ボランティアされている、僕の先輩カメラマンの
先輩コセキさんが合流する事に。

1度お会いした事あったらしいけど、
会った事はすっかり忘れてて。
でも、お二人のウェルカムボード用の似顔絵を
描いているので顔は覚えてた。
すぐ分かった。

挨拶をしてすぐ朝礼とラジオ体操。




朝礼後班分け。
岡Pさんがチェーンソーを使うという事だったので
意地でも岡Pさんの班に。
コセキさんともしたかったので、
一緒にしてほしかったけどコセキさんとは
別れてしまった。

コセキさんごめんなさい。

そして、それぞれ別れて作業開始。
岡Pさんの車に乗せてもらい移動。

前日作業した空き地の裏側の家の生け垣を
チェーンソーで切って根っこを掘り出す作業。
チェンーソーの使い方を凝視しつつ、
切った木を広場に集める。

さすが岡Pさんサクサク切っていく。
根っこは剣スコなどを使って掘り起こす予定で
いたが、依頼者の方がミニユンボを借りてきたらしく
作業がなくなった。


■■■雨がつらい■■■

ということで、ドブの泥かきをすることに。
朝5時から個人的に作業をはじめるハカセが
朝礼までの時間作業してたドブの続きをする。
モンベルの社員の方々さすがパワーがある。
まじめに黙々と進めていく。

僕もやる気はあったのだけれども、
カッパの下を忘れ、下半身が雨で
どんどん湿っていき、作業に集中出来ない。
それでもさぼっていられないのでやる。

ちょい休憩をはさみ、お昼の時間に近づいた時、
ふと気づいた。
弁当も携帯もムラヤマさんの車の中だ。

ホント普段車があることを当たり前として
行動していたので、万端と思っていても
いろんな忘れ物や不便が起きる。
岡Pさんに携帯を借り、ハヤサカさんに電話して
ムラヤマさんの所在を確認。

岡Pさんに車を借りて、ムラヤマさんのところへ。

ところがそこに車はなく、違う人が違う場所に
乗っていってしまってるとのこと。

ムラヤマさん、ヨコヤマさんがやっている現場は
さっきより大きな生け垣をユニックで抜く作業。
生け垣はともかく、その回りの瓦礫も多く、
人手が欲しいとの事。
また、生け垣を抜く範囲が分からないので
依頼を受けたハカセに説明を受けたいと、
ハカセがいる現場に僕がヨコヤマさんを
連れて行く事に。

ハカセのいる現場に行き、説明を受け、
その後ムラヤマさんの車のある現場に移動。
なんとか携帯と弁当を確保。

今回は人に迷惑かけまくってる気がして
もうドキドキ。

快く車を貸してくれた岡Pさんに本当に感謝。
車がある生活をしてる人は車は手放せないねぇ。

今度はヨコヤマさんを僕が作業していた現場に
乗せていき、昼からヨコヤマさんの現場で
人手が欲しいという事を伝える。

そしてヨコヤマさんを元の現場に。

そっからまた自分の元いたの現場に戻って昼間での
20分くらいを泥かきと道具清掃。




■■■お昼をいただく■■■

弁当を確保してきたのだけれども、
ありがたくも依頼者の方が昼ご飯を用意して
くれていた。
佐賀の海苔に山形のお米で作ったおにぎりと
支援物資でいただいたというカップヌードル。

日清製だけど、海外品。支援物資。
支援してくれた方々の心をありがたくいただく。

おにぎりもおいしかったけど、
何より写真奥に写っているキュウリの漬け物が
最高においしかった。ごちそうさまでした。

残りの昼休み時間、当時の話を伺った。
やはり皆さん、話を皆に知ってもらいたくて
するんだと思う。愕然とする話も出てくるけど、
話してる方に悲壮感はない。
前を向いて進んでいこうとしているんだろうなと
思った。
ちょっとだけでもその方々の力になれた事は
うれしい。




■■■もうダメ■■■

話をしていると、道具をピックアップしに
ヨコヤマさんがユニックで登場。

道具を載せて、現場を移動。

ヨコヤマさんたちの現場に合流。
ユニックを使って生け垣は抜き終えてた。
抜いた生け垣1本ずつ道の脇へ移動させている。

僕たちはその現場の後ろ側の空き地の瓦礫拾い。
一生懸命拾うんだけど、雨でカッパを忘れた
下半身はもうベチョベチョ。
やる気0になってしまい、申し訳なくも僕だけ
作業停止。

長靴も別の所にあるムラヤマさんの車の中。

作業してる風でしてない。
もう意識があまりなかった。
最後の方はなんとか気を持ち直し、
アスファルトの上に広がった土をスコップで
脇に寄せる作業をした。

これでこの日の作業は終了。

超不完全燃焼。
自分の不用意さ加減にぐったり。






■■■撤収■■■

その後、ケイコやコセキさんたちが作業している
畑に移動。
ここらへんでももう自分が嫌になってたせいで
記憶が薄い。

みんなとしゃべってたけど、あまりしゃべってた
内容は覚えていない。

唯一覚えているのはこちらの畑の持ち主の方が
しきりに、すみませんとありがとうを言っていた
こと。そんなに言わなくても。みんなは好きで
来て作業しているのにと思った。

片付けも手伝わずぼーっとしてた。
妙に嫌な2日間だった。
とりあえず今後は雨対策と暑さ対策を
練っていかないといけない。


■■■遠くで■■■


遠くでみんなの会話が聞こえる。
そんな感じだった。



■■■帰り支度■■■

コセキさんも一緒にパレ松に。と誘ってみたけど、
この後予定があったらしく、ここでお別れ。
また是非一緒にということで。

最後のお願いで、ムラヤマさんにパレ松まで
乗せてもらう。
パレ松まで判治さんに迎えにきてもらう予定で。

■■■ヨコヤマ節■■■

パレ松で奇麗さっぱりになっても、
どうも今回は気持ちがさっぱりしない。

布施さんの件、カッパ忘れてテンション下がった件、
雨、ムラヤマさんにご迷惑をかけたことなど。

そんなこんなで、東京から夜行バスで帰るために
バスの出発時間までに東京に戻らないといけない
人などもいらしたので、慌ててムラヤマさんの
車から荷物を降ろす。
降ろし終わってから、ヨコヤマさんが
国見のSAまで一緒にいけばいいやん。
一緒に飯食えるし。と言と言ってくれた。
遠慮しても、押し切られて結局再度ムラヤマさんの
車に荷物を積む事に。

ありがたく国見SAまでご一緒させていただく。
判治さんにもその旨をメールで伝え、OKをもらう。

事故車を横目に、若干交通量の多い東北道を上り、
国見SAに到着。

みんなと一緒にご飯。

そんな中、今度は時間的にオカリナさんを川口に
下ろしてから夜行バスの時間に間に合わせるのは
難しい。とムラヤマさんが判断し、ヨコヤマさんの
ユニックに乗っていたフジタさんとトレードする事を
希望した。
が、ヨコヤマさんもユニックにナビが
ついていないので、あまり知らない所をユニックで
走るのは心もと無いと。

ちょっと僕的に微妙な空気が流れてる気がしたので、
(多分二人はいつもこんな感じなんだろうけど)
オカリナさんに我慢してもらって、
ウチの車に乗る事を提案した。
ウチなら帰りの時間気にしなくていいし。

で、オカリナさんもOKだったので、一緒に
ウチのハイエースが迎えにくるまで
待ってもらう事に。

ご飯を食べ終え、ムラヤマさんの車から荷物を
降ろした。雨が強かったので
ゴミ袋をかぶせて外に置く。

ご飯を食べ終えるか終えないかの18時半ころに、
判治さんから一関ICに乗ったという連絡を
もらったので、そっから1時間ちょっとだろうと
思い、雨に濡れつつ待つ。

待つ。

と、事故渋滞ですごい渋滞に巻き込まれてしまった
らしく、遅れるとの事。
それでも想定内だったので、外で待つ。
が、雨と思いのほか高くない気温のせいで、
体が冷え、震えるほどに。

21時ようやくハイエース到着。
荷物をささっと乗せ、出発。

判治さんたちの活動内容をいろいろ聞きながら、
オカリナさんの家を目指す。
1時を回った頃に、オカリナさんを降ろし、
2時くらいに判治さんたちと別れ、3時前に
なんとか帰宅。

今回はなんかダメボランティアを表現してしまった
気がする2日間だった。

気合いを入れ直してまたがんばろう。

同行者
ケイコ

途中分岐
判治さん
トモコはん
 

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