■■■気持ちが届いたのか■■■ 起床。 起きてすぐ自分たちのテントを片付ける。 疲れてるとはいえ、たった1日だけでは本当に 悔しい。まだ作業をしたいと思う。 そんなことを思いながら mont-bellアウトドア義援隊のキャンプの撤収を 手伝う。 あとはヨコヤマさんの持ってきた工具や私物だけ。 だけど、なかなかヨコヤマさんが現れない。 テントの片付けに手間取っていたらしい。 ヨコヤマさんにはお世話になりっぱなしだったので 最後まで残って片付けを手伝おうと思っていた。 そこへ、今日も作業に出ていたムラヤマ隊から mont-bellの方に電話が。 作業内容が増えて人手が欲しいとの事。 ナルセ隊出動。 カナダで通訳のお仕事をされてるゴウケさんも乗せ、 4人で昨日ドブ掃除をした付近の民家へ。 到着するとすでに何枚かの床板がはがされていた。
まだはがし途中だったので、ケイコとタカヤマさんは ふすまや障子を洗う作業。 僕とゴウケさんで床下の泥出し。 板ははがしても、支える木はとらないので、 無理な体制での泥出し。 スコップですくっては土嚢に詰めていく。 ゴウケさんは44歳なのに疲れ知らず。 トライアスロンをしているらしい。まさに鉄人。 10歳も年上の人より働けてない自分が 情けなかった。それでもとにかくやり続け、 3部屋分を昼過ぎまでやって終了。
先に来ていたムラヤマ隊のうち、 某大学のハカセだけ残してムラヤマさんと オカリナさん(オカリナ作りが趣味らしい)は 床板をはがし終わると、石巻の他の現場に向かった。 ハカセと4人は泥かき完了後、 こちらの民家の方にお昼ご飯をいただき、 庭先で昼食を取る。 昼食を食べ終わると、ナルセ隊は撤収することに。 ハカセは一人残り、ムラヤマ隊が戻ってくるのを 待ちつつ、こちらの民家を清掃をするとのこと。 今回の作業はこれで終了。 一緒に来たゴウケさんの実家が塩竈の辺りだという ことで、帰りがてら送っていく事に。
■■■初松島■■■ 東名を出て一路塩竈を目指す。 ほどなく松島にさしかかる。 昨日もお風呂に入りにきたけれど、松島を見た事が 無いタカヤマさんに松島を見せたく、ゴウケさんに ちょっと帰りの時間を延ばしてもらって 立ち寄る。 ゴウケさんは優しい方で、私も学生の時に 来た以来でウン十年ぶり。来れてうれしい。 なんて言ってくれた。 いきなりコケシを購入。 おみやげやさんも結構あいてる。 その後、五大堂に渡ってみる。 遊覧船も出ており、観光客もたくさん。 観光大歓迎だと思う。 あまりお腹は空いてなかったけど、 牛タンまんじゅうなんかを買って食べる。 ぐるっと見てほどほどに松島を後にする。 竜の遊覧船がある塩竈港を抜け、 ゴウケさんの実家に到着。 ホントいい人だった。あんな40代になりたい。
■■■仙台市若林区■■■ そのまま高速に乗ってもよかったけど、 震災直後ニュースでよく流れていた仙台市若林区が 近いので、そこも見ていく事に。 被害の大きかった多賀城市を通過。 それでもまだ街が動いている感じはあった。 県道141号から県道10号にのり七北田川を渡り 若林区の海側へ。 津波に呑まれて店内が大変な状況になってる セブンイレブン。入り口に長机を置き、 3人の店員さんがコーヒーや飲み物だけを 売っていた。驚いた。 そこから少し進み、視界を遮ってた林が 無くなった瞬間、すごい光景が目に入ってきた。 岩手、宮城のいろんな被災地を見てきて、 それなりに慣れていたつもりだったけど、 思わず声を上げてしまった。 通過していく車以外人の気配がない。 もともと民家が少なく、 田畑が広がる土地だったのだと思うけれども、 あまりにも酷い。 見た感じ手が入ってない状況。 二日間泥かきなどをしてきたけれども、 自分がやった事やれた事は ホント砂粒程度の事だったんだろうなと思った。 そのまま南下しようとするも、 橋が補修中で南下できないようだったので、 近くの今泉ICから高速に乗り、帰路に。 次は14日に日帰りで陸前高田に 物資搬送で向かう予定。 twitterでみかけたツイートを記載。 震災から2ヶ月。皆さんご存知ではないと思います。法律上、震災から2ヶ月の今日で、国からの物資等の支援は終わります。 本当なのかな。 今後どうすりゃいいんだろう。