5月8日 日曜日  

■■■気持ちが届いたのか■■■

起床。
起きてすぐ自分たちのテントを片付ける。
疲れてるとはいえ、たった1日だけでは本当に
悔しい。まだ作業をしたいと思う。
そんなことを思いながら
mont-bellアウトドア義援隊のキャンプの撤収を
手伝う。

あとはヨコヤマさんの持ってきた工具や私物だけ。
だけど、なかなかヨコヤマさんが現れない。
テントの片付けに手間取っていたらしい。

ヨコヤマさんにはお世話になりっぱなしだったので
最後まで残って片付けを手伝おうと思っていた。

そこへ、今日も作業に出ていたムラヤマ隊から
mont-bellの方に電話が。
作業内容が増えて人手が欲しいとの事。
ナルセ隊出動。
カナダで通訳のお仕事をされてるゴウケさんも乗せ、
4人で昨日ドブ掃除をした付近の民家へ。

到着するとすでに何枚かの床板がはがされていた。



まだはがし途中だったので、ケイコとタカヤマさんは
ふすまや障子を洗う作業。
僕とゴウケさんで床下の泥出し。
板ははがしても、支える木はとらないので、
無理な体制での泥出し。
スコップですくっては土嚢に詰めていく。

ゴウケさんは44歳なのに疲れ知らず。
トライアスロンをしているらしい。まさに鉄人。

10歳も年上の人より働けてない自分が
情けなかった。それでもとにかくやり続け、
3部屋分を昼過ぎまでやって終了。


先に来ていたムラヤマ隊のうち、
某大学のハカセだけ残してムラヤマさんと
オカリナさん(オカリナ作りが趣味らしい)は
床板をはがし終わると、石巻の他の現場に向かった。

ハカセと4人は泥かき完了後、
こちらの民家の方にお昼ご飯をいただき、
庭先で昼食を取る。

昼食を食べ終わると、ナルセ隊は撤収することに。

ハカセは一人残り、ムラヤマ隊が戻ってくるのを
待ちつつ、こちらの民家を清掃をするとのこと。

今回の作業はこれで終了。
一緒に来たゴウケさんの実家が塩竈の辺りだという
ことで、帰りがてら送っていく事に。


■■■初松島■■■

東名を出て一路塩竈を目指す。
ほどなく松島にさしかかる。
昨日もお風呂に入りにきたけれど、松島を見た事が
無いタカヤマさんに松島を見せたく、ゴウケさんに
ちょっと帰りの時間を延ばしてもらって
立ち寄る。
ゴウケさんは優しい方で、私も学生の時に
来た以来でウン十年ぶり。来れてうれしい。
なんて言ってくれた。

いきなりコケシを購入。
おみやげやさんも結構あいてる。

その後、五大堂に渡ってみる。
遊覧船も出ており、観光客もたくさん。
観光大歓迎だと思う。

あまりお腹は空いてなかったけど、
牛タンまんじゅうなんかを買って食べる。

ぐるっと見てほどほどに松島を後にする。

竜の遊覧船がある塩竈港を抜け、
ゴウケさんの実家に到着。
ホントいい人だった。あんな40代になりたい。







■■■仙台市若林区■■■

そのまま高速に乗ってもよかったけど、
震災直後ニュースでよく流れていた仙台市若林区が
近いので、そこも見ていく事に。

被害の大きかった多賀城市を通過。
それでもまだ街が動いている感じはあった。
県道141号から県道10号にのり七北田川を渡り
若林区の海側へ。

津波に呑まれて店内が大変な状況になってる
セブンイレブン。入り口に長机を置き、
3人の店員さんがコーヒーや飲み物だけを
売っていた。驚いた。

そこから少し進み、視界を遮ってた林が
無くなった瞬間、すごい光景が目に入ってきた。
岩手、宮城のいろんな被災地を見てきて、
それなりに慣れていたつもりだったけど、
思わず声を上げてしまった。

通過していく車以外人の気配がない。
もともと民家が少なく、
田畑が広がる土地だったのだと思うけれども、
あまりにも酷い。
見た感じ手が入ってない状況。

二日間泥かきなどをしてきたけれども、
自分がやった事やれた事は
ホント砂粒程度の事だったんだろうなと思った。

そのまま南下しようとするも、
橋が補修中で南下できないようだったので、
近くの今泉ICから高速に乗り、帰路に。

次は14日に日帰りで陸前高田に
物資搬送で向かう予定。




twitterでみかけたツイートを記載。

震災から2ヶ月。皆さんご存知ではないと思います。法律上、震災から2ヶ月の今日で、国からの物資等の支援は終わります。

本当なのかな。
今後どうすりゃいいんだろう。
















同行者
ケイコ
高山さん(サンクス)
ーありがとうー
やっちゃん ジョイちゃん
しゃっくるんくん
mont-bell アウトドア義援隊の方々

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