4月24日 日曜日  

■■■歌を届けに■■■

今回はハンサム判治さんと一緒に、
前回判治さんが
NPO法人 みんな地球の子どもじゃん!の方々と
回られていた気仙沼市唐桑町の避難所を回る事に。



一関ICから、気仙沼市街地を通り過ぎ、
陸前高田市に向かう45号線から側道にそれ、
唐桑町を目指す。

写真は気仙沼市街地。

愛でる人の影もなくひっそりと咲く桜。







唐桑町の避難所へ向かう道中。
海辺に出た瞬間、また酷い光景が。
住宅地。
壊れた護岸。
水門施設。
浜。





唐桑体育館に到着。
さっそく物資を配る。
今回は、判治さんの自転車を届ける任務と、
僕の枕を届ける任務もあったので、
物資をそんなに乗せていなかったけど、
判治さんが集めた物資が大変喜ばれた。

奥様方が化粧品を特に必要とされていたようで、
今回の物資にはあまり含まれてなかったので
次回それを揃えてくることを約束。
失礼だけど、高齢の女性の方が、ほお紅が欲しいと
言われた事に驚いた。
女性はいつまでも女性なんだなと。

やはり判治さん。
ビジュアルも歌もインパクトがあるので
多くの方々が判治さんの事を覚えていた。

判治さんのファンの方のお手製ぬいぐるみが
小さい子に大変喜ばれた。ほほえましかった。

どこの避難所にも大体設置されてる
ソーラーパネル。
どれくらいの発電量があるんだろう。

たくさんの洗濯物。




ある程度物資を配り終え、
初めて来た唐桑の方々と3.11の時の話や、
街の話を伺い、また来ますねと話を終えて
次の避難所へ移動。

写真は道中。



中田公民館に到着。
こちらでもお手製のぬいぐるみが大人気。
なぜか、お手製ぬいぐるみを支援してくれた方の
物資の中に入っていた既製品の
スティッチのぬいぐるみは
おじさんが嬉しそうに持っていった。
好きなのかな。

細身で寡黙な壮年の方が、遠慮がちしていたので、
タバコを2箱渡す。
すると僕は30本は一日に吸うんだよ。という
話から堰を切ったようにいろいろ話をしてくれた。

昔はマグロ漁船に乗っていた事。
高台から自分の家が流されていくのを
眺めるだけだった事。
奥さんや親は逃げたけど、アワビの養殖で
海に出ていた息子さんは今でも見つからず、
諦めるしか無いと今は考えている事。

そうなんですね...。としか言えなかった。
その言葉すら言っていいものなのか。

そういう話を聞く事も大事と思っているけど
毎回辛い気持ちになる。
実際に体験してない僕が言うのもなんだけれども
本当に辛い。



また来ますね。といい、今度は半島の反対側にある
鮪立(しびたち)の避難所へ。

着くと広場の隅に自転車パンク修理、刃物研ぎと
看板をつけた車が。
壮年の男性が子供に囲まれながら刃物を
研いでいたので、お話を伺った。

大工さんで会社の社長さん。前日から
来ているらしく、瓦礫の中から見つかった
子供の自転車の修理や刃物を研ぐ支援をされている
らしい。自転車は趣味でいじっていたから
できるとのこと。

被災地に行く度に会う、支援に来ている
いろんな社長さん。
僕は小さな小さな会社の社長だけど、
同じ社長として、励まされる。

ここでは、なぜかひとりの壮年男性につかまり、
ずっと避難所の愚痴を聞かされる。
嘘か本当かはわからないけれども、
避難所で知らない人たちと長く生活を共にすれば
愚痴も出てくるから仕方ない。

しかし最終的な話、
お酒が大好きでお酒が欲しいらしい。
なので、今回二日市の公民館に持っていくお酒の
中から2本大五郎的なものを避難所の方々に
内緒で渡す。
凄く嬉しそうだった。
喜んでもらえるのはいいけど、酒を飲み過ぎて
酔った勢いで避難所の人たちと喧嘩などはしないで
もらいたいなと思った。
一日コップ半分しか飲まないようにしていると
言っていたので、それは信じたい。

その方もマグロ漁船に乗っている人だったらしい。

本当に多くの漁業従事者がいる。
震災、津波の影響で海に流出してしまった瓦礫、
油はまだ時間をかければなんとかなるだろうけど、
原発の影響はとても長い。
一刻も早くなんとかしてほしいと思う。



判治さんのライブの時間も迫ってきたので、
最初に行った唐桑体育館の下にある唐桑小学校に
移動する。

学校の門直前まで一番上の写真の様な状況。
本当にちょっとの差で違う。

今回判治さんが自転車屋さんから
託され、支援のために持ってきた
ロングテールバイクのラディッシュと
MTBのマングースを唐桑小学校の校長先生に。

大変喜ばれていた。

東京からチャリティーコンサートで来られていた
李さんとこの小学校の体育館でライブコンサート。




ライブが始まるまで、ちょっと時間をもらって、
先ほどの鮪立まで戻り、移動中見かけて
気になっていた鮪立の港へ。

座礁して焼けてしまった船が。

眺めていると、横須賀から援助に来ていたと
思われる船が横に着き、人が乗り込み始める。
と、僕の横に仙台放送のカメラマンや数人の
人がカメラを持って現れた。

撤去作業が始まる事が事前に伝わっていたらしく
撮影していた。

この港も他の土地と同様酷い状況だった。










■■■ハンサム判治 絶唱■■■

時間に間に合うように戻り、
少し待ってライブスタート。

判治さんの心境はわからないけど、いつものように
男一匹ハンサム判治3曲絶唱した。

僕らは体育館の横で、正座して見ていた。
3曲目僕も大号泣した経験のある曲、
「人生大丈夫ンブンブン」YouTube
僕の目の前のご婦人が泣いていた。
校長先生も目頭を押さえていた。

心に響く歌詞と声。

歌は本当にすごい力を持っているなと
改めて思った。

泣いているご婦人を見て僕も泣いてしまった。
泣かないと決めてたのに。




その後、昨日の雨で海辺を縦断している45号線が
通れない状況の中、山道を抜けて岩手から
来られたという男性アーティストの
ギター演奏があり、
最後に李さんのライブ。
李さんの歌声は安らかで力強くて
心に染み渡る素敵な歌ばかり。
長距離移動で当日来た僕らにはちょっと
夢の世界に誘われそうになる心地よさで
危なかった。






入学おめでとう。
まだ辛い事大変な事も多いけど、
強い心でふんばって多いに学び、
多いに育ってほしい。
唐桑の宝たち。

ライブも終わり、唐桑小学校を後にする。
陸前高田市方面に北上し、小原木中学校に。
こちらも前回判治さんが歌を届けた避難所。
こちらに判治さんの持ってきた支援物資を届けに。

だがしかし、本日は小林幸子さんがイベントを
しにきていたらしく、そのイベントが終わるのを
待つため、陸前高田市に移動。


■■■3回目の訪問■■■

判治さんが向かう陸前高田市のサンビレッジという
施設。
その道中に、僕が過去2回行っている
公民館があるので、枕を届けるために時間をもらう。

ほとんどの人が出払っていていなかったので、
見た事あるけど、あまりお話ししてない壮年男性に
枕を持ってきた事をつげる。
布団を個人で持ってこられた方がいたらしく、枕も
届いていたようだけど、気を使ってくれたのか
数は足りてないから助かるよ。と言って
事前に受けていた30個すべて引き取ってくれた。
そんな事をしていると、板さん登場。
板さんに日本酒や焼酎、タバコを渡し、
ヒロタカにもケイコの会社から譲り受けたPCを
渡して任務完了。

自衛隊が二日市公民館の前に入ってきたので、
慌てて車をどかそうとしたら、
ガードレールに脇をこする。
自衛隊の方に心配されるも、大丈夫っす!と
心では泣きながらも、笑顔で返す。








■■■子供たちの笑顔■■■

いつも通る川縁の道を抜けて、陸前高田市でも
初めて行く地区へ。
サンビレッジというスポーツ施設。

こちらは大きな体育館の中に白いテントがいくつも
建てられていて、他の避難所より少しは
プライバシーが確保出来ているよう。

一緒に避難してきた犬たちも元気そう。

判治さんの友人もこちらに避難されていて、
いろいろ状況を伺う。
記者のお仕事をされているので、
もちろん愛機はNikon。
Nikonの話でちょっと盛り上がる。
でも、D700の支援はできません...ごめんなさい。

無邪気にシャボン玉で遊ぶ子供たち。
かわいい。

今回は日帰りなので、帰りの時間も気にしつつ
サンビレッジを後に。





■■■また...■■■

ふと荷物を整理していると、二日市公民館に
届ける物を下ろし忘れていた。

子供たちに持たせるLEDライトと、奥様方への
毛玉取り。

先ほどの小原木中学校に
また戻るという事だったので、
ちょっと無理を聞いていただいて、
公民館に立ち寄らせてもらう。

と、畳屋さん、キンさんが
戻っていた。思わず二人と抱き合う。
もう僕の紺色ハイエースは覚えられてるので、
見えた瞬間、目を丸くしてた。

今度はGWくらいに来るだろうって思ってたのに。
って言われた。
喜んでくれてるか、しょっちゅう来すぎて
いやがられてるかどっちだろか... 笑

そして失敗した。
また飯時に来てしまって。

誰ともすぐ仲良くなるキンさんは判治さんと、
僕は畳屋さんと話し込んでしまって。

気がついたらまたご飯が用意されていた。

今日の夕飯はハンバーグカレー。
手抜きだと板さんは言っていたけれども、
ごちそうです。
カレーとハンバーグなんて最強タッグ。
写真は判治さん撮影。

美味しかった。
食べてる最中、初顔の中一ショウが超からんでくる。
僕のアゴの下をなでながら、
「犬はアゴの下をなでると喜ぶんだ」なんて
いうからその手をペロっと舐めてやった。
そしたらぎゃーって言って
逃げていった。もうこれで仲良しだ。

その後菅野ちゃんと小泉ちゃんと
絵を描いてるときもショウは僕の背中に乗って遊ぶ。

時間もそうないのに、
ちょっとゆっくりさせてもらって判治さんに
迷惑をかけてしまった。

そろそろ行こうと表へ出てもショウは僕に
ちょっかいをかけるのが楽しいらしく、
今度は、「猫は首根っこをつかむと大人しくなるよ」
といって首を後ろからつかんできたので、
おもっきり走って追いかけてやった。
もうこれで親友だ。

またくるぞ、ショウ。

キンさん、畳屋さんたちに別れを告げて
小原木中学校へ。

そういえば、今回ヒロタカにPC、菅野ちゃんに
漫画道具(Gペン、丸ペン、コピックみたいなのなど)
を持っていったのだけれども、
さすがにこんな高価なものと、
また会長さんにお叱りを受けてしまった。
反省。

確かに行き過ぎたかもしれないけれども、
全国の中学2年生、高校3年生が、
彼らが被災したからと勉強や趣味、夢を追う事を
待っていてくれるはずが無い。
家は無くなってしまったけれども、
パソコンを触る、絵を描くスペースはある。
立ち止まらずに勉強したり、夢を追っかけて
くれたらいいなと思って持っていった。
自己満だけれども。

障害は大きいけれども、少しでも立ち止まらずに
前へ進んでくれたらと思う。



小原木小学校に到着し、判治さんたちだけで
物資を届けに。
僕とケイコは車で待機。

少しして判治さんたちが戻ってきた。
無事にDS、アドバンスを渡せたらしいけど、
いろいろ避難所にも事情があるらしく、
直接子供たちには渡らず、一旦子供のことを
担当されている方に渡し、ルールを決めてから
子供たちが遊べるようにするという事らしい。


小さな避難所しか回ってなかったため、
今まで知らなかったけど、
お酒やタバコを禁止されている所もあるらしい。

サンビレッジでも
お酒やタバコは禁止という雰囲気だった
けれども、これは夢の出来事ですね。素敵な水を
いただいた。と言って引き取ってくれた。
タバコを吸う場所も決められていてみんなそこで
吸っていた。

避難所の取り決めだから仕方ないけど、
せめて普段の生活に少しでも近い感じで
お酒やタバコを許容してあげてほしいなと思った。

お酒飲まれる方も、タバコ吸われる方も、
自分の置かれている状況はそれなりに
把握されていると思うので、節度ある飲み方を
されるだろうし、
ちゃんと決められた所で吸うだろうし。

外野が言っても、内側の事までは
把握できないので、何を言っているんだと
言われたらそれまでなんだけど。

今回は判治さんのおかげで大きい避難所の状況を
知れたし、違う土地の方々ともお話が出来たから
よかった。

帰りの道中、僕も判治さんも眠気と戦いながら
休み休み帰っていった。

さすがに日帰りは辛かった。
無理の無いようにしないといけない。
僕らが事故を起こしたり、警察に捕まったら
ホント今までが無意味になってしまうし、
被災地に支援に向かう方々にも迷惑が
かかってしまう。

気をつけよう。


同行者
ハンサム判治さん
TOMOKICHIはん
ケイコ
ーありがとうー
判治さん関係の方々

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